翌朝。
宿屋の食堂に、ガルドの元気な声が響いた。
「よし! 今日は準備の日だ!」
「朝から元気ね……」
向かいに座るセリナは、温かいお茶を飲みながら苦笑した。
昨日、二人はギルドで北の森の異変について報告した。
森の奥には、正体不明の大型魔物がいる可能性が高い。
さらに、周辺では魔物の目撃情報が増えており、商隊にも影響が出始めている。
次に森へ向かうなら、十分な準備が必要だった。
「今日は食料と薬を買って、道具も確認するわよ。森の奥まで進む可能性があるから、いつもより念入りにね」
「分かった!」
「本当に分かってる?」
「もちろんだ! 食料をたくさん買えばいいんだろ?」
「違うわよ!」
セリナのツッコミが、食堂に響いた。
ガルドは不思議そうに首をかしげる。
「食料は大事だろ?」
「大事だけど、それだけじゃないの。傷薬や水、道具の確認も必要でしょう?」
「なるほど。じゃあ、食料と傷薬と水だな!」
「……先が思いやられるわね」
セリナは小さくため息をついた。
それでも、こうして出発前に準備を整えること自体は悪くない。
前回の調査では、森の奥で地面を揺らす音を聞いた。
正体が分からない以上、何が起きても対応できるようにしておきたい。
「じゃあ、食べ終わったら出発よ」
二人が最初に向かったのは、冒険者向けの道具を扱う店だった。
店内には水筒や携帯食料、薬草、傷薬、ロープなどが並んでいる。
セリナは必要な道具を一つずつ確認していった。
「傷薬はこれくらいあれば十分ね。あとは包帯と、予備の矢も買っておきましょう」
「おお、いろいろあるな」
ガルドは棚を眺めていた。
その視線が、ある商品で止まる。
「なあ、これ何だ?」
手に取ったのは、乾燥肉が詰まった袋だった。
「携帯食料よ。長い移動のときに食べるものね」
「肉じゃないか!」
「ええ、そうね」
「これも買おう!」
ガルドは袋を手に持ったまま、店主のところへ向かった。
「おじさん、これを十袋!」
「十袋!?」
セリナが慌てて振り返った。
「ちょっと、ガルド! そんなに必要ないでしょう!」
「でも、森の中で腹が減ったら困るだろ?」
「確かに困るけど……」
「それに、うまそうだぞ!」
「最後の理由が本音でしょう!」
店主は二人のやり取りを聞きながら、楽しそうに笑った。
「ははは! 兄ちゃん、食べるのが好きなんだな。そいつは日持ちするし、冒険者にも人気だぞ」
「だろ? じゃあ、もう十袋!」
「増やさないで!」
セリナはガルドの手から袋を取り上げた。
結局、乾燥肉は三袋だけ購入することになった。
ガルドは少し不満そうだったが、セリナが買った傷薬や包帯を見て、素直に荷物をまとめ始めた。
「これで準備はばっちりだな!」
「まだよ。剣の状態も確認しておきましょう」
「それなら問題ないぞ!」
ガルドは背中から大剣を下ろした。
刀身に目立った傷はなく、柄もしっかりしている。
前回の戦闘でも問題なく使えていた。
セリナは刀身を確認し、うなずいた。
「確かに、状態はよさそうね。でも、使う前に確認する癖はつけておいた方がいいわ」
「分かった。毎回確認する!」
「よろしい」
セリナは満足そうに笑った。
少なくとも、準備の大切さは伝わったらしい。
食料の量については、まだ少し不安が残っていたが。
道具をそろえた二人は、次に肉屋へ向かった。
店先には、さまざまな魔物の肉が並んでいる。
ガルドはその光景を見た瞬間、目を輝かせた。
「おおおっ!」
「……分かりやすいわね」
店主が二人に気づき、声をかけてきた。
「いらっしゃい! 今日は何を買っていくんだ?」
「森に持っていける肉が欲しい!」
「持っていける肉?」
「そうだ! できれば、うまくて、腹にたまって、たくさん食べられるやつ!」
「注文が多いな!」
店主は豪快に笑った。
「それなら、こいつはどうだ? 塩漬けにしたロックボアの肉だ。焼くだけで食えるし、保存も利くぞ」
店主が見せたのは、食べやすい大きさに切り分けられた肉だった。
ガルドは真剣な顔でそれを見つめた。
「……うまそうだ」
「でしょう?」
セリナも少し興味を持ったようだった。
「これなら森でも食べられそうね」
「よし、それを買おう!」
ガルドは勢いよくうなずいた。
しかし、店主が値段を告げると、セリナは財布を確認しながら必要な量を計算した。
「今回は長くても一日で戻る予定だから、これくらいで十分ね」
「えっ、これだけ?」
「十分よ!」
「でも、帰りに腹が減るかもしれないぞ!」
「帰りの分も含めて買っているの!」
ガルドはしばらく肉を見つめていたが、やがて大きくうなずいた。
「……分かった。帰ってきたら、たくさん食べよう」
「最初からそのつもりでいてちょうだい」
こうして食料の準備も終わった。
ガルドは満足そうに荷物を背負った。
その荷物の中で、乾燥肉の袋がかすかに音を立てた。
「これで、いつ腹が減っても大丈夫だな!」
「だから、食べることばかり考えないの!」
昼過ぎ。
二人は冒険者ギルドへ向かった。
次の調査について、出発前に確認しておきたいことがあったからだ。
ギルドに入ると、受付の周囲がいつもより騒がしかった。
何人かの冒険者が集まり、真剣な表情で話し込んでいる。
「何かあったのかしら?」
セリナがつぶやいた。
二人が受付へ向かうと、受付嬢がすぐに気づいた。
「あっ、お二人とも。ちょうどよかったです!」
「どうしたんだ?」
ガルドが尋ねると、受付嬢は一枚の報告書を取り出した。
「先ほど、北の森から戻ってきた冒険者が、新しい目撃情報を報告してくれたんです」
セリナの表情が引き締まった。
「新しい目撃情報?」
「はい。森の東側、山道に近い場所で、巨大な魔物を見たそうです」
「どんな魔物だったんだ?」
「遠くからだったので、はっきりとは分からなかったそうです。ただ……」
受付嬢は言葉を切った。
「背中に、黒い鱗のようなものが見えたと言っていました」
ガルドとセリナは顔を見合わせた。
黒い鱗。
それは、二人が森で見つけたものと関係があるのかもしれない。
「その魔物は、何をしていたの?」
セリナが尋ねる。
「山道の近くを移動していたそうです。目撃した冒険者たちは、危険だと判断して追跡をやめたとのことでした」
「賢明な判断ね……」
セリナは報告書に目を落とした。
森の奥にいるかもしれない巨大な魔物。
周辺から姿を消していく魔物たち。
そして、黒い鱗。
少しずつ情報は集まっている。
だが、肝心の正体はまだ分からない。
「なあ、セリナ」
ガルドが大剣の柄に手を置いた。
「明日、森に行こう」
「ええ。私もそのつもりよ」
セリナは受付嬢に向き直った。
「明日、私たちで森の東側を調べてみるわ。ただし、危険な相手と遭遇した場合は、無理に戦わずに引き返す。それでいいかしら?」
「はい。くれぐれも無理はしないでくださいね」
「分かりました」
受付嬢はほっとしたように笑った。
ガルドも力強くうなずいた。
「任せてくれ!」
そして、少し間を置いてから付け加えた。
「ところで、明日の調査が終わったら、肉を食べてもいいんだよな?」
「もちろんよ」
セリナは即答した。
「ただし、ちゃんと無事に帰ってくること。それが一番大事だからね」
「おう!」
ガルドは満面の笑みで答えた。
明日は、北の森の東側を調査する。
これまでとは違う場所だ。
何が待っているのかは分からない。
それでも、準備は整った。
二人は翌朝の出発を約束し、ギルドを後にした。
そのころ、北の森のさらに奥では、巨大な影がゆっくりと動いていた。
黒い鱗が木漏れ日を受け、鈍く光る。
その足元で、小さな魔物たちが一斉に逃げ出した。
森の異変は、まだ終わりそうになかった。
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