翌朝。
隣町の宿屋で目を覚ましたガルドは、勢いよくベッドから飛び起きた。
「よし、今日は何を食べよう!」
起きて最初に考えることがそれだった。
昨日はブラウンホーンの肉を堪能した。歯ごたえがあり、噛むほどに旨味が広がる最高の肉だった。
しかし、ガルドの食欲は昨日の夕食程度では満たされない。
むしろ、おいしい肉を食べたことで、さらに腹が減っているくらいだった。
「……まずは朝飯だな」
ガルドは大剣を背負い、部屋を出た。
食堂へ向かうと、ちょうどセリナが朝食を食べているところだった。
「あら、おはよう。今日は早いのね」
「おはよう! 腹が減った!」
「はいはい。聞かなくても分かるわよ」
セリナは苦笑しながら、向かいの席を指さした。
「今日は町を見て回るんでしょう? その前に、ちゃんと食べておきなさい」
「もちろんだ!」
ガルドは席に着くなり、店員に朝食を注文した。
焼きたてのパンに、野菜のスープ、目玉焼き。そして、追加で焼いてもらった厚切りのベーコン。
料理が運ばれてくると、ガルドはさっそく食べ始めた。
「うまい!」
「本当に幸せそうに食べるわね」
「うまいものを食べてるんだから、幸せに決まってるだろ!」
あまりにも堂々と言い切るので、セリナは思わず笑ってしまった。
「ふふっ。それもそうね」
こうして二人の一日は、いつもどおり食事から始まった。
ただし、今日は魔物退治の依頼を受ける予定はない。
北の森で見つけた異変については、ギルドに報告済みだ。追加の情報が集まるまでは、無理に森へ入る必要もないだろう。
たまには町を見て回るのも悪くない。
セリナはそう考えていた。
もっとも、ガルドにとって町を巡る最大の目的は、別のところにあったのだが。
朝食を終えた二人は、町の大通りへと繰り出した。
通りには露店が並び、あちこちから威勢のいい呼び声が聞こえてくる。
焼きたてのパンを売る店。
色鮮やかな果物を並べた店。
鍋や食器を扱う雑貨屋に、冒険者向けの装備品を売る武具屋。
王都ほど大きな町ではないが、活気に満ちていた。
「へえ、いろんな店があるんだな!」
ガルドはきょろきょろと辺りを見回す。
「そうね。こういう町をゆっくり歩くのも、たまにはいいでしょう?」
「ああ! あっちの店、肉を焼いてるぞ!」
「……結局、そこなのね」
セリナが呆れたように言った瞬間、ガルドはすでに露店へ向かっていた。
店先では、串に刺した肉が香ばしい音を立てて焼かれている。
「おじさん! それ、何の肉だ?」
「おっ、兄ちゃん。これはロックボアの肉だよ。香辛料をすり込んで焼いてるんだ」
「ロックボア!」
ガルドの目が輝いた。
「二本くれ!」
「はいよ!」
受け取った串焼きのうち一本を、ガルドはすぐに頬張った。
「うまい!」
外側は香ばしく、中は肉汁たっぷりだ。香辛料の風味も食欲を刺激してくる。
ガルドはあっという間に一本を食べ終えた。
「セリナも食べるか?」
「ええ、いただこうかしら」
セリナが串を受け取ると、ガルドは残った一本を大事そうに持ちながら、店主に尋ねた。
「このロックボアって、どこで狩れるんだ?」
「町の西にある岩場だな。群れで出ることもあるが、最近は妙に姿を見せなくなってな」
その言葉に、セリナの表情が少しだけ変わった。
「姿を見せなくなった?」
「ああ。前はこの町の冒険者がよく狩っていたんだが、ここしばらくは目撃情報が減ってる。代わりに、北の森から妙な魔物が出てきたって話もあるくらいだ」
ガルドとセリナは顔を見合わせた。
北の森から魔物が移動していたことは、昨日ギルドへ報告したばかりだ。
西の岩場にいる魔物まで姿を消しているとなると、偶然とは言い切れないかもしれない。
「何か関係があるのかしら……」
「うーん」
ガルドは少し考えた。
そして、手元の串焼きを見つめる。
「つまり、ロックボアがいなくなったら、これが食べられなくなるってことか?」
「そこが一番気になるの!?」
セリナのツッコミが、大通りに響いた。
店主は腹を抱えて笑っている。
「ははは! 兄ちゃん、気に入ったならまた買いに来な! ロックボアがいなくなっても、ほかの肉はあるからよ!」
「そうなのか! よかった!」
「よくないわよ、もう……」
セリナは額に手を当てた。
しかし、笑いながらも頭の片隅では、魔物の動きについて考え続けていた。
北の森だけではない。
この周辺の魔物に、何か異変が起きているのかもしれない。
その後も二人は町を歩き回った。
武具屋ではガルドの大剣を見た店主が驚き、道具屋ではセリナが薬草や傷薬の補充をした。
ガルドは大剣の手入れ道具を勧められたものの、店主の説明を聞いているうちに、店の奥に置かれた燻製肉へ視線を奪われていた。
「兄ちゃん、話を聞いてるか?」
「聞いてる! 剣を磨く道具だろ?」
「そうだ。そのために必要なのが――」
「ところで、あの肉は何だ?」
「聞いてねえじゃねえか!」
店主の怒鳴り声を背に、セリナは笑いをこらえきれなかった。
「ガルドって、本当に変わらないわね」
「何がだ?」
「なんでもないわ」
セリナは首を振った。
大剣を軽々と振り回し、強力な魔物を倒す。
それなのに、食べ物のことになると驚くほど単純になる。
不思議な男だ。
けれど、一緒にいると退屈しない。
むしろ、こうして何でもない時間を過ごすのが、少し楽しいと感じている自分がいた。
「……ねえ、ガルド」
「ん?」
「明日も、こうして一緒に依頼を受ける?」
何気ない質問のつもりだった。
だが、口にしてから、セリナは少しだけ返事が気になった。
ガルドは不思議そうに彼女を見た。
「もちろんだろ。セリナと組むと戦いやすいしな!」
「そ、そう……」
「それに、二人ならいろんな魔物を倒せるだろ? 食べたことのない肉も、まだまだありそうだし!」
「……やっぱり、そこなのね」
セリナは小さくため息をついた。
けれど、頬にはほんの少し笑みが浮かんでいた。
「まあ、いいわ。これからもよろしくね、ガルド」
「ああ! よろしくな!」
ガルドは何のためらいもなく笑った。
そのまっすぐな笑顔に、セリナは一瞬だけ言葉を失った。
そして、照れ隠しのように歩き出す。
「ほら、次のお店に行くわよ」
「おう! 次は肉か?」
「違うわよ!」
昼過ぎ。
二人は大通りから少し外れた場所にある、小さな広場へやって来た。
広場の隅には荷車が何台か止まっており、商人たちが忙しそうに荷物を積み込んでいる。
その中で、ひときわ大きな荷車が目に留まった。
荷台には頑丈な木箱が積まれている。
箱の側面には、北の森へ向かう商隊が使う印が描かれていた。
「あれ、何かしら?」
セリナが目を向ける。
荷車のそばでは、商人らしき男が二人の作業員に指示を出していた。
「その箱は奥へ! 食料は手前にまとめてくれ!」
男は忙しそうに動き回っていたが、セリナたちに気づくと、ふと表情を曇らせた。
「……冒険者か?」
「ええ。何か困りごとでも?」
セリナが尋ねると、男は少し迷ったあと、声を潜めた。
「実はな。北の森を通る予定だった商隊が、ここ数日、次々と予定を変更しているんだ」
「予定を変更?」
「ああ。森の近くで、普段は見かけない魔物が出るようになったらしい。護衛を増やしても危険だと判断した商人もいる」
セリナの顔から笑みが消えた。
昨日、二人が森で見つけた足跡。
森の奥へ向かうように続いていた、大型魔物の痕跡。
そして、町の西でロックボアの目撃情報が減っているという話。
それらが少しずつつながり始めていた。
「その話、ギルドには伝えたの?」
「ああ。だが、まだ詳しいことは分かっていないらしい」
男は困ったように頭をかいた。
「このままじゃ、北へ向かう商売にも影響が出る。何とか原因が分かればいいんだが……」
セリナはガルドを見た。
ガルドもまた、珍しく真剣な表情で荷車を眺めていた。
「ガルド?」
「……北の森、もう一度行ってみるか」
その言葉に、セリナは小さくうなずいた。
「そうね。今度は、もう少し奥まで調べてみましょう」
ただ魔物を倒すだけでは、異変の原因は分からない。
けれど、二人なら何かを見つけられるかもしれない。
「よし。じゃあ、その前に――」
ガルドが勢いよく顔を上げた。
「腹ごしらえだな!」
「……そこは変わらないのね」
セリナは呆れたように笑った。
北の森で何が起きているのか。
その答えは、まだ分からない。
だが、二人の次の冒険は、少しずつ近づいていた。
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