翌朝。
ガルドは宿屋の食堂で、山盛りの朝食を前に満足そうな顔をしていた。
「やっぱり、冒険に出る前は飯だな!」
「昨日も十分食べていたでしょう?」
向かいに座るセリナが、呆れたように言った。
「昨日は昨日、今日は今日だ!」
「はいはい。分かったから、ちゃんと食べてね」
セリナは笑いながら、温かいスープを口に運んだ。
二人は朝食を終えると、さっそく冒険者ギルドへ向かった。
昨日、町で聞いた話が気になっていたのだ。
北の森から魔物が移動している。
森の近くを通る商隊が、危険を避けて予定を変更している。
さらに、町の西にある岩場では、ロックボアの目撃情報まで減っているという。
別々の出来事に見えるが、何か関係があるのかもしれない。
少なくとも、もう一度調べる価値はあった。
冒険者ギルドに入ると、朝から多くの冒険者で賑わっていた。
依頼掲示板の前には人だかりができ、受付では冒険者たちが次々と報告を済ませている。
ガルドはいつものように掲示板へ向かおうとした。
「待って、ガルド。先に受付で話を聞きましょう」
「ん? 依頼を受けるんじゃないのか?」
「その前に、昨日の話を確認するのよ」
「なるほど。じゃあ、話を聞いてから依頼を受けて、帰りに肉を買えばいいんだな!」
「……どうして最後は肉になるのかしら」
セリナは小さくため息をつきながら、受付へ向かった。
受付嬢は二人の姿を見ると、すぐに笑顔で迎えてくれた。
「お二人とも。北の森の件ですね?」
「ええ。昨日、町で気になる話を聞いたの。森の近くを通る商隊が、予定を変更しているらしいわ」
「やはり、その話も耳に入りましたか」
受付嬢は少し表情を引き締めた。
「実はギルドにも、似たような報告がいくつか届いているんです」
「やっぱり、何かあるんだな」
ガルドが身を乗り出す。
「はい。ここ数日、北の森の周辺で魔物の目撃情報が増えています。普段なら森の奥にいるはずの魔物が、街道近くまで出てきているそうです」
「森から追い出されてるってことかしら?」
「その可能性はあります。ただ、原因までは分かっていません」
受付嬢は机の上に地図を広げた。
北の森。
その東側には山地があり、西側にはロックボアが生息する岩場がある。
南には、二人が今いる町へ続く街道が伸びていた。
「こちらが、最近報告のあった場所です」
受付嬢が指で示した地点には、いくつもの印がつけられていた。
森の南側。
西側の岩場。
そして、東側の山道付近。
「……思っていたより広い範囲ね」
セリナが地図を見つめた。
「ええ。特定の場所だけで起きているわけではないようです」
「じゃあ、森の中で何かが起きてるのか?」
「可能性は高いと思います。ただし、強力な魔物が移動しているだけなのか、それとも別の原因があるのかは不明です」
ガルドは腕を組んだ。
難しい話は得意ではない。
だが、森で感じたことなら覚えている。
あの大きな角を持つ魔物には、古い傷があった。
まるで何かから逃げてきたようにも見えた。
「なあ。その魔物たちって、みんな森の外へ向かってたのか?」
「報告では、その傾向があるようです」
「ふーん……」
ガルドは地図をのぞき込んだ。
「だったら、森の奥に何かいるのかもしれないな」
その言葉に、受付嬢とセリナが顔を上げた。
「ガルド、それは私も考えていたわ」
「もちろん、まだ決めつけることはできませんが……」
受付嬢は地図を片づけながら言った。
「ギルドとしても、原因を調べたいと考えています。お二人には、もう一度北の森の調査をお願いできませんか?」
セリナはすぐには答えず、地図を見つめた。
前回は、森の奥で強力な魔物と遭遇した。
もし、その魔物すら逃げ出すような何かがいるのなら、慎重に行動する必要がある。
「調査の範囲は?」
「前回確認した場所から、少し奥までです。ただし、危険を感じたらすぐに引き返してください。原因を突き止めることより、無事に帰ることを優先してくださいね」
「分かったわ」
セリナがうなずいた。
ガルドも力強くうなずく。
「よし! 行こう!」
そして、すぐに付け加えた。
「帰ってきたら、肉料理を食べよう!」
「……本当に、どんな話をしていても最後はそれなのね」
調査の準備を終えた二人は、町の北門を抜けた。
空は晴れており、風も穏やかだった。
街道を進む途中、何台かの荷車とすれ違った。
商人たちは以前よりも周囲を警戒しているようで、護衛の冒険者たちも武器に手をかけながら歩いている。
「みんな、警戒しているわね」
「ああ。魔物が出るかもしれないからな」
「そうね。でも、それだけじゃない気がするの」
セリナは街道の先を見つめた。
「何かを怖がっているというより、何が起きているのか分からないことを不安に思っている。そんな感じがするわ」
「分からないのは、確かに嫌だな」
ガルドは大剣の柄に手を置いた。
「でも、行ってみれば何か分かるかもしれないだろ?」
「ええ。だから、まずは自分たちの目で確かめるの」
二人は街道を外れ、北の森へと続く道へ入った。
木々の間から差し込む日差しは、まだ明るい。
森の入り口付近には、昨日と同じように魔物の足跡が残っていた。
しかし、今日は少し違うものも見つかった。
「ガルド、これを見て」
セリナが地面を指さした。
そこには、深くえぐれたような跡が続いていた。
大型の魔物が歩いた痕跡だろうか。
だが、足跡の形がはっきりしない。
まるで、重い何かを引きずったようにも見えた。
「でかい魔物の跡か?」
「それも考えられるわ。でも……」
セリナはしゃがみ込み、地面を注意深く調べた。
「この跡、森の奥から街道の方へ続いているわね」
「じゃあ、こいつも森から出てきたのか」
「そうかもしれない。けれど、普通の魔物の足跡とは少し違うわ」
ガルドは周囲を見回した。
鳥の鳴き声が聞こえる。
風が葉を揺らす音も聞こえる。
特に変わった様子はない。
それなのに、森の奥へ目を向けると、なぜか胸の奥がざわついた。
「……なあ、セリナ」
「何?」
「今日は、あんまり魔物の気配がしないな」
セリナは耳を澄ませた。
確かに、前回来たときよりも静かだった。
魔物がいないわけではない。
だが、普段なら聞こえるはずの鳴き声や、草木をかき分ける音が少ない。
まるで、森の生き物たちが息を潜めているようだった。
「慎重に進みましょう。何かあったら、すぐに知らせて」
「ああ、分かった」
二人は武器を構えられるようにしながら、森の奥へ進んだ。
やがて、木々の間に小さな獣道が見えてきた。
その先には、折れた枝や倒れた木が散らばっている。
さらに奥へ続く地面には、無数の足跡が残されていた。
大型の魔物だけではない。
小さな魔物の足跡も、同じ方向へ向かっている。
そして、その先には――。
「……あれ、何だ?」
ガルドが足を止めた。
少し離れた木の根元に、黒ずんだ大きな塊が落ちていた。
セリナは弓を構えたまま、慎重に近づく。
それは、硬い鱗のようなものだった。
表面には細かな傷が走り、端の部分は鋭く尖っている。
「魔物の鱗……かしら?」
「ずいぶん大きいな」
ガルドが手を伸ばしかけると、セリナが慌てて止めた。
「ちょっと、素手で触らないで。何か分からないんだから」
「あ、そうか」
ガルドは素直に手を引っ込めた。
セリナは布を取り出し、鱗を慎重に包んだ。
そのときだった。
森の奥から、低い音が響いた。
ゴゴゴゴ……。
地面が、かすかに揺れた。
二人は同時に顔を上げる。
鳥たちが一斉に飛び立ち、木々の向こうで何かが動く気配がした。
ガルドは大剣を背負い直し、ゆっくりと柄に手をかける。
「……セリナ」
「ええ。聞こえたわ」
音は一度きりではなかった。
森のさらに奥から、もう一度、重い響きが伝わってくる。
何かが動いている。
しかも、かなり大きな何かが。
セリナは周囲を警戒しながら、静かに告げた。
「無理はしないで。正体を確認できそうになければ、すぐに戻るわよ」
「ああ。分かってる」
ガルドはうなずいた。
その目は、森の奥をまっすぐ見つめていた。
魔物たちが森から逃げ出している理由。
街道を行く商人たちが警戒している理由。
そして、地面を揺らす謎の音。
その答えは、すぐ近くにあるのかもしれない。
二人は互いに目配せをすると、音の聞こえた方向へ慎重に歩き始めた。
森の奥で待ち受けるものが何なのか。
まだ、知る由もなかった。
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