森の奥から聞こえてきた、低い唸り声。
ガルドとセリナは警戒しながら、ゆっくりと木々の間を進んでいた。
「……近いわね」
セリナが小声で呟く。
「ああ」
ガルドは背中の大剣に手をかけた。
先ほどのグレイウルフたちは、何かに怯えて逃げていった。
その原因が、この先にいるのだろう。
「ガルド、足元に気をつけて。地面が荒れているわ」
セリナの言うとおり、木の根元には大きな爪痕が残っていた。
太い木の幹にも、何かがぶつかったような傷がある。
「ずいぶん力が強そうだな」
「ええ。こんな傷をつけられる魔物なら、かなり危険よ」
「そうか」
ガルドは少し考えた。
「肉も大きそうだな」
「……今はそこを気にするところじゃないでしょ」
「いや、大事だろ」
「もう……」
セリナは呆れながらも、小さく笑った。
いつもどおりのガルドだ。
けれど、彼女も油断しているわけではない。
弓を握る手に、自然と力が入っていた。
さらに奥へ進むと、木々が途切れた場所に出た。
そこには、広い空き地があった。
地面はあちこち掘り返され、倒れた木もある。
そして、その中央に――。
「……いたわ」
セリナが息を呑んだ。
大きな魔物が一匹、地面に立っていた。
全身を覆う茶色の毛。
太い四本の足。
そして、額から伸びた二本の黒い角。
その巨体は、先日倒したホーンウルフよりもさらに大きかった。
「でかいな」
ガルドが素直な感想を漏らす。
魔物は二人に気づくと、ゆっくりと顔を向けた。
鋭い目が、こちらを捉える。
「グルルルル……」
地面を踏みしめるたび、重たい音が響いた。
セリナは魔物の姿を観察する。
「見たことがないわ。少なくとも、この辺りにいる魔物じゃないはず……」
「じゃあ、今回の調査対象か?」
「たぶんね。でも、あれは危険よ。刺激しないで、まずは様子を――」
その瞬間だった。
魔物が前足で地面を蹴った。
「来るわ!」
セリナが叫ぶ。
巨体が一気に突進してきた。
「おおっ!」
ガルドは横へ跳び、突進をかわす。
魔物はそのまま走り抜け、背後にあった木へ激突した。
バキバキッ!
太い木が大きく揺れ、枝が折れる。
「うわ、すごいな!」
「感心してる場合じゃないわよ!」
セリナが矢を放つ。
矢は魔物の肩付近に当たった。
しかし、分厚い毛皮に弾かれたように落ちてしまう。
「硬い……!」
魔物がセリナへ向き直った。
「セリナ、下がれ!」
ガルドが駆け出す。
魔物が再び突進しようとした、その瞬間。
ガルドは大剣を両手で握り、地面を強く踏み込んだ。
「止まれっ!」
大剣を横薙ぎに振るう。
ドゴォンッ!
大きな衝撃音が森に響いた。
魔物の巨体が横へ押し流され、地面を滑っていく。
「……えっ?」
セリナが目を見開いた。
あれだけの巨体を、真正面から押し返したのだ。
普通の冒険者にできることではない。
だが、ガルドはいつもどおりだった。
「よし。今のは効いたな」
魔物はゆっくりと立ち上がる。
怒りをあらわにし、ガルドを睨みつけた。
「グオオオオッ!」
「おっ、まだやるのか!」
「ガルド、油断しないで!」
「ああ!」
魔物が角を向け、再び突進してくる。
今度はガルドが真正面から受け止めた。
大剣の刀身と、魔物の角がぶつかる。
ガキィンッ!
激しい音が響いた。
ガルドの足元の土が抉れる。
それでも、彼は一歩も引かなかった。
「なかなか力が強いな!」
ガルドは歯を見せて笑う。
「でも、俺も負けないぞ!」
全身に力を込める。
そして――。
「おおおおっ!」
魔物の巨体が、少しずつ押し戻されていった。
「うそ……」
セリナは驚きながらも、すぐに動いた。
ガルドが魔物を押さえている間に、横へ回り込む。
弓を構え、今度は魔物の足元を狙った。
「ガルド、少しだけ耐えて!」
「任せろ!」
矢が放たれる。
魔物の前足近くに矢が突き刺さり、巨体の動きが一瞬鈍った。
その隙を、ガルドは逃さなかった。
「これで終わりだ!」
大剣を大きく振り上げる。
そして、力いっぱい振り下ろした。
ドォンッ!
魔物の巨体が地面へ倒れ込んだ。
土煙が舞い上がる。
しばらくして、周囲に静けさが戻った。
「……倒した?」
セリナが慎重に様子を確認する。
魔物は動かない。
「ああ。倒したみたいだな」
ガルドは大剣を肩に担いだ。
「強かったな」
「強かったな、じゃないわよ……」
セリナは大きく息を吐いた。
「こんな魔物、普通は新人冒険者が相手にするものじゃないわ」
「でも、なんとかなったぞ」
「それはガルドが普通じゃないからよ」
「そうなのか?」
「そうなの!」
セリナは思わず声を上げた。
ガルドは不思議そうに首を傾げる。
そして、倒れた魔物を見下ろした。
「ところで、セリナ」
「……今度は何?」
「これ、食べられるかな?」
「…………」
セリナは空を仰いだ。
「もう、好きにして……」
その後、二人は魔物の様子を詳しく調べることにした。
セリナは周囲を警戒しながら、魔物の身体を観察する。
「この魔物、やっぱりおかしいわ」
「どこが?」
「身体に傷があるの。私たちがつけたものじゃないわ」
セリナが指差した場所には、古い傷跡が残っていた。
さらに、近くの地面には大きな足跡がいくつも続いている。
それらは、森のさらに奥へと向かっていた。
「この魔物も、何かから逃げてきたのかしら……」
セリナが呟く。
ガルドは足跡の先を見つめた。
「もっと奥に、何かいるのか?」
「その可能性はあるわね」
「じゃあ、行ってみるか?」
「待って。今回の依頼は、あくまで調査よ。これ以上は危険かもしれない」
セリナは少し考え、首を横に振った。
「まずはこの魔物のことをギルドに報告しましょう。森の奥については、準備を整えてからにしたほうがいいわ」
「分かった」
ガルドは素直に頷いた。
そして、もう一度だけ魔物を振り返る。
「……肉、うまいといいな」
「まだ言ってるの?」
「大事なことだからな」
セリナはとうとう笑い出した。
二人は魔物の素材を回収し、町へ戻ることにした。
しかし、森の奥に続く大きな足跡は、まだ誰にも気づかれないまま残されていた。
この森で起きている異変。
その原因は、まだ深い森の向こうに隠れている。
そしてガルドたちは、いずれ再びこの森へ足を踏み入れることになるのだった。
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