東の山道を進み始めてから、しばらくが経った。
街道は次第に細くなり、周囲には大きな岩や背の高い木々が目立つようになっていた。
人が通らなくなって久しいのか、道のあちこちに草が生えている。
「この辺りが、古い街道の入口ね」
セリナは地図を確認しながら言った。
「道がかなり荒れているわ。昔は馬車も通っていたみたいだけど、今は難しそうね」
「馬車が通れないなら、歩けばいいだろ?」
「そういう問題じゃないのよ」
ガルドは不思議そうに首を傾げた。
セリナは苦笑しながら、周囲へ視線を向ける。
ここから先は、ギルドの記録にもほとんど残っていない場所だ。
何が起きても不思議ではない。
「気をつけて進みましょう。魔物の気配があったら、すぐに知らせてね」
「分かった!」
ガルドも背中の大剣を確かめ、ゆっくりと歩き始めた。
そのときだった。
――ガサッ。
右手の茂みが揺れた。
セリナは即座に弓を構える。
「止まって!」
次の瞬間、茂みを突き破って巨大な魔物が飛び出してきた。
全身を覆う灰色の毛。
盛り上がった肩。
そして、頭部から伸びる二本の太い角。
「グルルルル……!」
魔物は低くうなり、二人をにらみつけた。
その体格は、以前戦ったブラウンホーンよりも一回り大きい。
しかも、額から鼻先にかけて硬い甲殻のようなものが広がっていた。
「おお! また大きいのが出てきたな!」
ガルドは嬉しそうに大剣を抜いた。
「ちょっと、喜んでる場合じゃないでしょ!」
「いや、だって強そうだぞ!」
「そういうところよ!」
セリナが言い終わるより早く、魔物が地面を蹴った。
巨体からは想像できないほどの速さで突進してくる。
「ガルド、正面から受けないで!」
「おう!」
ガルドは横へ跳んだ。
魔物の角が、彼のすぐ脇を通り抜ける。
勢いを止められなかった魔物は、そのまま街道脇の岩へ激突した。
轟音が響き、岩の表面に亀裂が走る。
「うわっ、すごいな!」
「感心してないで! 次が来るわ!」
魔物は頭を振り、再びガルドへ向き直った。
その目には、はっきりと敵意が浮かんでいる。
セリナは弓を引き絞った。
「まずは動きを止める!」
放たれた矢が、魔物の前脚付近へ飛ぶ。
矢は硬い毛と甲殻の隙間に当たり、魔物の動きがわずかに乱れた。
その一瞬を、ガルドは見逃さなかった。
「今だな!」
大剣を構え、踏み込む。
しかし、魔物も黙ってはいない。
巨体をひねり、太い角でガルドを弾き飛ばそうとした。
ガルドは大剣の腹を盾のように構え、角を受け止める。
――ガキィンッ!
金属音が山道に響いた。
強烈な衝撃が走る。
普通の冒険者なら、そのまま後方へ吹き飛ばされていたかもしれない。
だが、ガルドは一歩も引かなかった。
「おっ、力が強いな!」
むしろ、楽しそうに笑っている。
「ガルド! 遊んでないで!」
「遊んでないぞ!」
「顔が楽しそうなのよ!」
セリナは弓を背負い、腰の双剣を抜いた。
魔物の注意がガルドに向いている今なら、横から攻められる。
彼女は素早く側面へ回り込み、魔物の後脚を狙って斬りつけた。
刃が毛の薄い部分をかすめ、魔物が驚いて足を踏み直す。
「こっちよ!」
セリナはすぐに距離を取った。
魔物が彼女へ向き直ろうとする。
その動きに合わせ、ガルドが大剣を振り上げた。
「よそ見してると危ないぞ!」
大剣が横薙ぎに振るわれる。
魔物は頭を下げてかわそうとしたが、刃は肩の甲殻をかすめ、巨体を大きく揺らした。
「グオオオッ!」
魔物が怒りの声を上げる。
地面を蹴り、今度はセリナへ突進した。
「っ!」
セリナは横へ飛び退いたものの、魔物の巨体が迫り、逃げ道が狭まる。
そこへ、ガルドの声が響いた。
「セリナ、しゃがめ!」
即座に身を低くしたセリナ。
その頭上を、巨大な大剣が通り抜ける。
ガルドは彼女のすぐ後ろから踏み込み、魔物の側面へ大剣を叩きつけた。
――ドゴォンッ!
衝撃で魔物の体が横へ流れる。
巨体が街道を滑り、土煙が舞い上がった。
セリナは素早く立ち上がり、ガルドの隣へ戻る。
「助かったわ!」
「おう!」
「でも、次はちゃんと合図してよね!」
「今、合図しただろ?」
「直前すぎるのよ!」
言い合いながらも、二人の動きには迷いがなかった。
ガルドが正面から魔物の攻撃を引きつけ、セリナが隙を見つけて動きを乱す。
出会って間もないはずなのに、二人は自然と互いの動きを理解し始めていた。
魔物は再び立ち上がった。
額の甲殻には傷が入り、肩の毛並みも乱れている。
それでも、戦意は衰えていなかった。
「まだやる気か!」
ガルドは大剣を肩に担ぎ直した。
「タフなやつだな。こういう相手は嫌いじゃないぞ!」
魔物は地面を何度も踏み鳴らし、力をためるように頭を下げた。
次は、これまで以上の突進が来る。
セリナはそれを見抜いた。
「ガルド! 正面から受け止めるつもり?」
「そのつもりだ!」
「なら、私が隙を作るわ!」
セリナは弓を手に取り、魔物の目の前ではなく、前脚のすぐ脇に矢を放った。
矢が地面に突き刺さり、魔物の注意が一瞬だけそちらへ向く。
そのわずかな間に、彼女は横へ走り、もう一本の矢を放った。
今度は甲殻の端に当たり、魔物が頭を振る。
「今よ、ガルド!」
「おう!」
ガルドは大剣を両手で握り、腰を落とした。
魔物が突進してくる。
地面が揺れ、土煙が舞い上がる。
ガルドは逃げなかった。
迫り来る巨体を見据え、ぎりぎりまで引きつける。
そして――。
大剣を、下から大きく振り上げた。
――ドォォォンッ!!
凄まじい衝撃が炸裂した。
大剣の一撃を受けた魔物の巨体が、突進の勢いごと大きく持ち上がる。
巨体は地面から浮き上がり、そのまま数メートル先へ吹き飛ばされた。
地面を転がり、岩の手前でようやく止まる。
周囲の木々が揺れ、落ち葉が一斉に舞い上がった。
静寂。
セリナは、口を開けたまま固まっていた。
「…………」
ガルドは大剣を肩に担ぎ、魔物の方を見た。
「おお! 今のはうまくいったな!」
「うまくいったな、じゃないわよ!」
セリナが思わず叫んだ。
「今、あれを吹き飛ばしたの!? あんな大きな魔物を!?」
「そうだが?」
「そうだが、じゃないでしょう!」
セリナは頭を抱えた。
これだけの巨体を、真正面からの一撃で吹き飛ばす。
そんな芸当ができる冒険者は、そう多くない。
それも、ガルドは息一つ乱していなかった。
「……本当に、とんでもないわね」
「そうか?」
「そうよ!」
セリナは大きく息を吐いた。
だが、倒れた魔物が動かないことを確認すると、ようやく表情を緩めた。
「とにかく、勝ったみたいね」
「だな!」
ガルドは満足そうに笑った。
そして、倒れた魔物を見ながら、ふと思い出したように言った。
「ところで、こいつって食えるのかな?」
「……またそれ?」
「いや、気になるだろ!」
「気になるけど、今は先に調査!」
「分かった!」
ガルドは素直にうなずいた。
セリナは、そんな彼を見て小さく笑った。
この調子なら、まだまだ振り回されることになりそうだ。
それでも――。
彼と一緒なら、どんな危険な場所でも切り抜けられる。
そんな気が、少しずつしていた。
戦闘を終えた二人は、周囲の安全を確かめてから、魔物の様子を調べた。
体は大きく、全身を灰色の毛に覆われている。
額の甲殻は特に硬く、正面からの攻撃に強い構造をしていた。
「ギルドで聞いたことがない魔物ね……」
セリナは魔物の特徴を手帳に書き留めた。
「こんな魔物が街道の近くに現れるなんて、やっぱり異変と関係があるのかしら」
「森から出てきたのかもな」
「そうね。少なくとも、ここにいる理由は調べる必要があるわ」
さらに周囲を確認していると、ガルドが岩場の近くで足を止めた。
「セリナ、これを見てくれ!」
「何かあったの?」
彼が指さしたのは、地面に残された深い跡だった。
大きな爪で引っかいたような傷が、岩の表面に何本も走っている。
そして、その傷の先には――古い岩壁があった。
昨日、黒い巨影が向かっていった場所だ。
「……やっぱり、ここにも傷がある」
セリナは岩壁へ近づき、慎重に観察した。
傷は新しいものと古いものが混じっている。
ただの風化や崩落ではない。
何かが、何度もこの岩壁に接触したように見えた。
ガルドは岩壁を見上げた。
巨大な岩が折り重なり、自然にできた壁のようにも見える。
しかし、よく見ると岩の並び方には不自然な部分があった。
まるで、奥へ続く何かを塞いでいるかのようだった。
「この奥に、何かあるのか?」
ガルドが手を伸ばしかけた、そのとき。
――ゴゴゴゴ……。
低い音が響いた。
二人は同時に顔を上げる。
足元の小石が、かすかに震えていた。
「今の音……」
セリナが周囲を見回す。
音は、岩壁の向こう側から聞こえてきたようだった。
やがて揺れは収まり、辺りは再び静かになった。
ガルドは大剣を握り直した。
「……何かいるな」
「ええ。でも、今は近づかない方がいいわ」
セリナは慎重に岩壁から距離を取った。
目の前には、巨大な魔物を吹き飛ばしたばかりのガルドがいる。
それでも、岩壁の向こうに何があるのかは分からない。
今の二人に必要なのは、無理に突破することではなく、情報を持ち帰ることだった。
「ギルドに報告しましょう。ここで何が起きているのか、もっと調べる必要があるわ」
「分かった。次に来るときは、もっと強い魔物が出てくるかもしれないな!」
「……できれば、出てこないでほしいんだけど」
「でも、出てきたら倒せばいいだろ!」
「その自信はどこから来るのよ……」
セリナは苦笑した。
二人は周囲の様子をもう一度確認し、来た道を戻り始めた。
背後には、静まり返った古い岩壁が残されている。
その奥で何が起きているのか。
そして、黒い巨影は何を探しているのか。
まだ、その答えは見つからない。
だが、確かなことが一つだけあった。
森の異変は、ただ魔物が移動しているだけではない。
何かが、この場所で動き始めているのだ。
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