翌朝。
ガルドは宿屋の食堂で、山盛りの朝食を前にしていた。
「おかわり!」
「……まだ食べるの?」
向かいに座るセリナが、呆れた顔で尋ねる。
「もちろんだ! 今日は森に行くかもしれないんだろ? だったら、しっかり食べておかないとな!」
「まだ行くと決まったわけじゃないんだけど」
「でも、行くかもしれないだろ?」
「昨日も聞いたわよ、それ」
セリナは苦笑した。
昨日、ギルドマスターは古い岩壁について調べると言っていた。
何か新しい情報が見つかれば、二人にも連絡するという話だったが、朝の時点ではまだ何も聞いていない。
それでもガルドは、朝からやる気に満ちていた。
もちろん、そのやる気の半分くらいは、森で何か食べられる魔物に出会えるかもしれないという期待から来ている。
「よし、食った!」
ガルドは最後のパンを口に放り込むと、満足そうに立ち上がった。
「じゃあ、ギルドに行こう!」
「はいはい。食べた分、ちゃんと働いてもらうからね」
「任せろ!」
セリナは笑いながら、彼の後を追った。
冒険者ギルドに到着すると、いつもより少し慌ただしい雰囲気が漂っていた。
受付前では職員たちが何枚もの書類を広げ、冒険者たちも何やら話し込んでいる。
「何かあったのかしら?」
「依頼が増えたとか?」
二人が受付へ向かうと、受付嬢がすぐに気づいた。
「ガルドさん、セリナさん。ちょうどよかったです。ギルドマスターがお待ちです」
「何か分かったのか?」
「はい。昨日お話しされていた、東側の古い岩壁についてです」
その言葉を聞いて、セリナの表情が引き締まった。
「何か記録が見つかったの?」
「詳しいことはギルドマスターから説明があると思います。こちらへどうぞ」
受付嬢に案内され、二人は昨日と同じ会議室へ向かった。
中では、ギルドマスターが一人の男性と話をしていた。
男性は四十代ほどで、旅装に身を包んでいる。服には土や草が付着しており、長い距離を歩いてきたことがうかがえた。
「来たか。二人とも座ってくれ」
ギルドマスターが手招きする。
ガルドとセリナが席に着くと、ギルドマスターは隣の男性を紹介した。
「こちらは調査員のロイドだ。昨日、東の山道付近を調べていた」
「ロイドだ。よろしく頼む」
「ガルドだ!」
「セリナよ。よろしく」
簡単な挨拶を交わすと、ロイドは机の上に一枚の地図を広げた。
「昨日の報告を受けて、古い岩壁の周辺を調べてきた。そこで、気になるものを見つけたんだ」
彼は地図の東側を指さした。
「この辺りに、古い街道の跡が残っている。今はほとんど使われていないが、昔は山の向こうへ物資を運ぶために使われていたらしい」
「街道?」
セリナが地図をのぞき込む。
「ある地点から先は道が崩れ、岩に塞がれている。今回、周辺を確認したところ、その岩の一部に新しい傷が見つかった」
「新しい傷って……」
「何かが引っかいたような跡だ。昨日、君たちが見たという巨大な魔物。その爪痕と似ている可能性がある」
セリナは眉を寄せた。
あの黒い巨体が、古い岩壁の近くで何かを探していた光景が頭をよぎる。
「つまり、その魔物が古い街道を調べていた可能性があるってこと?」
「断定はできない。だが、無関係とも言い切れないな」
ギルドマスターが腕を組んだ。
「もう一つ、気になる報告がある」
彼は別の書類を取り出した。
「今朝、東の山道を通った商人から連絡があった。昨夜、山の方から大きな音が何度か聞こえたそうだ。地面が揺れたように感じたとも言っている」
「また地響きね……」
セリナが小さくつぶやく。
「ああ。昨日までの情報と合わせると、何かが起きているのは間違いないだろう」
会議室に、しばらく沈黙が流れた。
黒い巨体。
逃げ出す魔物たち。
そして、古い岩壁と街道に残された新しい傷。
それぞれがつながっているようにも思えるが、まだ確かなことは何も分からない。
そんな中、ガルドが口を開いた。
「それで、その岩壁を見に行けばいいのか?」
ギルドマスターはうなずいた。
「そうだ。ただし、今回は様子を見るだけじゃない。古い街道の状態と、岩壁に残された傷を確認してほしい」
「魔物がいたらどうするの?」
セリナが尋ねる。
「無理に戦う必要はない。魔物を見かけたら距離を取り、状況を確認して戻ってきてくれ。危険だと判断したら、すぐに撤退して構わない」
「分かったわ」
「了解だ!」
ガルドは元気よく返事をした。
その様子を見て、ギルドマスターは念を押すように言った。
「ガルド、特に君だ。相手がどれほど強そうでも、今回は討伐が目的ではない。いいな?」
「分かってる! 見に行くだけだろ?」
「本当に頼むぞ……」
ギルドマスターは深いため息をついた。
セリナも苦笑する。
ガルドは強い。
それは疑いようがない。
だが、強いからこそ、危険な相手にも正面から向かっていきかねないのが困りものだった。
「出発は昼前でいいかしら? 準備を整えてから向かいたいわ」
「それで構わない。水と食料は十分に持っていってくれ。戻る時間も考えて、深追いはしないことだ」
「了解!」
ガルドはうなずいた。
そして、ふと思い出したように尋ねた。
「ところで、その辺りに肉がうまい魔物はいるのか?」
「……ガルド?」
セリナの声が低くなった。
「いや、気になっただけだぞ!」
「今は調査の話をしているの!」
ロイドは思わず吹き出した。
「ははっ! なるほど、君が噂の新人か」
「噂?」
「森で大きな魔物を倒した新人冒険者がいると聞いていたんだ。まさか、こんなに食いしん坊だとは思わなかったが」
「食いしん坊じゃないぞ! 普通だ!」
「普通は朝食をあんなに食べないと思うけど……」
セリナがぼそりとつぶやいた。
「えっ、見てたのか?」
「さっきまで一緒にいたでしょうが!」
会議室に笑い声が広がった。
張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ和らいだ。
ギルドを出た二人は、装備と食料を整えるために街の道具屋へ向かった。
セリナは矢の本数を確認し、予備の弦と薬草を買い足す。
ガルドは水袋を確認したあと、保存食を選んでいた。
「これと、これと……あと、これもだな!」
「ちょっと待って。そんなに持っていくの?」
「腹が減ったら困るだろ?」
「前にも同じことを言って、荷物を増やしすぎたじゃない」
「今回は大丈夫だ!」
「その自信、どこから来るのよ……」
セリナはガルドの荷物を確認し、保存食をいくつか戻した。
その代わり、長時間歩くことを考えて水と包帯を追加する。
「これでいいわ。剣を振るうのはあなたでも、準備をするのは二人なんだからね」
「おう。助かる!」
ガルドは素直に礼を言った。
セリナは一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに微笑んだ。
「どういたしまして」
準備を終えた二人は、街の門へと向かった。
門を抜ければ、東の山道へ続く街道が伸びている。
その先には、黒い巨体が姿を消した森がある。
「よし、行こう!」
「ええ。ただし、昨日と同じように、まずは観察。危険ならすぐに戻る。それを忘れないでね」
「分かってる!」
二人は並んで歩き始めた。
しばらく進むと、街の喧騒は遠ざかり、草木のざわめきが聞こえてくる。
やがて、道の先に山の稜線が見えてきた。
その向こうに、古い街道と岩壁がある。
何が待っているのかは分からない。
けれど、昨日見た黒い魔物が何かを探していたのなら、その理由を知る手がかりが見つかるかもしれない。
セリナは弓の位置を確かめ、周囲に注意を向けた。
ガルドも背負った大剣を軽く直す。
「なあ、セリナ」
「何?」
「調査が終わったら、うまい飯を食いに行こう!」
「……もう帰ったあとの話?」
「大事だろ!」
「はいはい。無事に帰れたらね」
セリナは笑った。
二人は東の山道を進んでいく。
その先にある古い岩壁。
そこに残された傷が何を意味するのか。
答えは、まだ岩の向こうに隠されていた。
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