街道を進む荷馬車は、やがて緩やかな丘を越えた。
その向こうに、木造の家々と広々とした畑が見えてくる。
「あれがリンド村だ」
御者席のマルコが、前方を指さした。
「おお! 畑がいっぱいあるな!」
ガルドは目を輝かせた。
村の周囲には、緑の葉を茂らせた畑が広がっている。畑の間を流れる小川は澄んでいて、風に揺れる麦の穂がきらきらと輝いていた。
「野菜が名物っていうのも納得ね」
セリナが景色を眺めながら言った。
「カブもあるのかな?」
「あると思うわよ」
「肉と煮込んだらうまいんだよな!」
「村に着く前から、料理のことばかりね……」
セリナは苦笑した。
けれど、ガルドの気持ちも分からなくはない。
知らない土地へ行き、そこでしか食べられないものを味わう。それも冒険の楽しみの一つなのだろう。
やがて荷馬車は村の入口へと到着した。
入口には簡素な木の門があり、そのそばで数人の村人が荷下ろしの準備をしていた。
「マルコさん、お帰りなさい!」
「おう! 頼まれていた品物を持ってきたぞ!」
村人たちが笑顔で駆け寄ってくる。
マルコは馬車を止め、積んでいた荷物を確認した。
「二人とも、ここまでありがとう。おかげで助かったよ」
「いえ、依頼ですから」
セリナが答える。
「それに、無事に届けられてよかった!」
ガルドも笑顔で頷いた。
そのとき、村人の一人がガルドの背中にある大剣に気づいた。
「おや? ずいぶん大きな剣だねえ」
「これか? 俺の相棒だ!」
「相棒……。ははっ、頼もしいねえ!」
村人は豪快に笑った。
その様子を見て、マルコも笑顔になる。
「そうだ。せっかく来たんだし、昼飯を食べていくといい。村の料理はうまいぞ」
「本当か!」
ガルドの声が一段と大きくなった。
「もちろんだ。特に、うちの村のカブ料理は自慢なんだ」
「カブ料理……!」
ガルドは拳を握りしめた。
セリナは、もう何も言わなかった。
どうやら、今日のガルドを止めるのは無理そうだった。
マルコに案内され、二人は村の中心にある食堂へ向かった。
建物は町の食堂より小さかったが、店内には木のテーブルが並び、窓からは畑が見渡せた。
昼時ということもあり、村人たちが楽しそうに食事をしている。
「いらっしゃい!」
店の奥から、恰幅のいい女性が顔を出した。
「おや、マルコ。帰ってきたのかい」
「今着いたところだ。こちらは護衛をしてくれた冒険者のガルドとセリナだ」
「そうかい! それはご苦労さま。ゆっくり食べていきな!」
「ありがとうございます!」
セリナが礼を言う。
ガルドはすでに、店内を見回していた。
壁に貼られた料理の札。
大鍋から立ち上る湯気。
そして、厨房から漂ってくる香ばしい匂い。
「おばちゃん! おすすめは何だ?」
「そうだねえ。今日はカブと肉の煮込みがあるよ。あとは焼きソーセージに、野菜のスープ。それから、畑で採れたばかりの豆を使った料理もあるね」
「全部くれ!」
「全部!?」
店の女性が目を丸くした。
セリナが慌ててガルドの腕をつかむ。
「待ちなさい! まずは二人分を頼むの!」
「え? でも全部うまそうだぞ?」
「分けて食べればいいでしょう!」
「なるほど!」
ガルドは納得したように頷いた。
女性は楽しそうに笑いながら、注文を厨房へ伝えた。
しばらくすると、テーブルの上に料理が並べられた。
大きな皿に盛られた焼きソーセージ。
湯気の立つ野菜スープ。
そして、肉とカブがたっぷり入った煮込み料理。
ガルドは目の前の皿をじっと見つめた。
「……すごい」
「ふふっ。そんなに嬉しい?」
「当たり前だろ!」
ガルドは匙を手に取り、煮込み料理を一口食べた。
柔らかく煮込まれた肉から旨味が広がり、カブは口の中でほろりと崩れた。
「うまいっ!」
思わず声が出た。
「肉が柔らかい! それに、このカブ、甘いぞ!」
「うちの畑で採れたカブだからねえ」
店の女性が嬉しそうに答えた。
セリナも一口食べ、目を細めた。
「本当だわ。味がよく染みてる。カブ自体も甘くておいしいわね」
「この組み合わせ、最高だ!」
ガルドは次々と料理を口へ運んでいく。
セリナは自分の皿を食べながら、その様子を眺めていた。
ガルドと一緒にいると、食事の時間まで妙に楽しく感じる。
本人は料理に夢中で、こちらの視線にはまったく気づいていないけれど。
そのときだった。
食堂の扉が勢いよく開いた。
「大変だ!」
息を切らした若い男性が飛び込んできた。
「畑のほうで、荷車がひっくり返った!」
「何だって?」
店の女性が声を上げる。
「収穫したカブを積んでいた荷車だ! 車輪が壊れて、荷物が道に散らばっちまった!」
「怪我人は?」
マルコが尋ねた。
「幸い、怪我はない。でも、荷車が道を塞いでいて、ほかの荷車も通れないんだ!」
食堂の空気が変わった。
村では、収穫した作物を運ぶ荷車は大切なものだ。
壊れたままでは、これから運ぶ予定の野菜にも影響が出てしまう。
村人たちはすぐに立ち上がった。
「私たちも手伝おう!」
「車輪を直せる者を呼んでくる!」
慌ただしく人々が動き始める。
ガルドは、皿に残った煮込み料理を見つめた。
それから、扉の向こうへ視線を移す。
「……ガルド?」
セリナが声をかけた。
「手伝いに行こう」
ガルドは立ち上がった。
「でも、料理はまだ残ってるわよ?」
「あとで食べる!」
そう言うと、ガルドは大剣を背負い直し、食堂を飛び出した。
セリナは一瞬だけ驚き、それから小さく笑った。
「……本当に、放っておけない人ね」
そう呟き、彼の後を追った。
畑へ続く道では、すでに十人ほどの村人が集まっていた。
道の真ん中で荷車が大きく傾き、片方の車輪が外れている。
荷台に積まれていたカブが、道の脇にごろごろと転がっていた。
「これはひどいわね……」
セリナが周囲を確認する。
幸い、荷車を引いていた馬に怪我はない。
荷車の持ち主らしい老人も無事だったが、困り果てた表情を浮かべていた。
「いやあ、申し訳ない。ちょっとした段差に車輪を取られてしまってな」
「爺さん、怪我はないか?」
ガルドが尋ねる。
「ああ、大丈夫じゃ。だが、荷車がこのままではどうにもならん」
老人は外れた車輪を見つめた。
車輪の軸が折れているらしい。
「持ち上げるだけならできるけど、これじゃ直さないと動かせないな」
ガルドが腕を組む。
「そうね。まずは荷物を降ろして、荷車を道の端へ移しましょう。修理はそれからよ」
セリナの提案に、村人たちが頷いた。
ところが、荷車には大量のカブが積まれている。
一つずつ運び出していては、かなり時間がかかりそうだった。
「よし、俺がやる!」
ガルドは荷台の横に回った。
「えっ?」
村人たちが驚く中、ガルドは荷車の傾きを直しながら、荷台を少し持ち上げた。
そのまま荷物が崩れないように支え、空いた手で村人たちへ声をかける。
「今のうちに、カブを降ろしてくれ!」
「お、おう!」
村人たちは慌てて荷台へ手を伸ばした。
ガルドが荷車を支えている間に、次々とカブが運び出されていく。
普通なら大人が何人も集まって、ようやく傾きを抑えられるような荷車だ。
それをガルドは、一人で平然と支えていた。
「よし、これで全部か?」
「いや、まだ奥に少し……」
「分かった!」
ガルドは荷車をさらに安定させた。
最後のカブが運び出されると、ようやく荷台が空になる。
「よし! もう大丈夫だ!」
ガルドは荷車をそっと地面へ下ろした。
どん、と鈍い音が響く。
村人たちは、しばらく言葉を失っていた。
「……あんた、本当に冒険者なのか?」
老人がぽつりと呟いた。
「そうだぞ!」
「いや、そういう意味ではなくてだな……」
セリナが苦笑する。
「この人、力だけは本当にすごいんです」
「だけ、って何だよ!」
「褒めてるのよ」
「ならいい!」
ガルドはあっさり納得した。
村人たちから笑い声が上がる。
張り詰めていた空気が、少しずつ和らいでいった。
荷車を道の端へ移したあと、村人たちは修理の準備を始めた。
セリナは折れた車軸を確認し、使えそうな部品がないか探している。
ガルドはというと、転がったカブを拾い集めていた。
「これで全部かな?」
「ああ、助かったよ。ありがとう」
老人が深々と頭を下げる。
「気にするな! それより、このカブは食べられるのか?」
「もちろんじゃ。うちの畑で採れたものだからな」
「おお!」
ガルドの表情がぱっと明るくなる。
老人はその反応を見て、声を上げて笑った。
「ははは! よほど食べるのが好きなんじゃな!」
「大好きだ!」
「それなら、今度うちに来るといい。新鮮なカブをたっぷり食べさせてやろう」
「ええ、ぜひ!」
セリナが先に答えた。
ガルドは驚いて彼女を見る。
「セリナも食べたいのか?」
「おいしいものは、私だって食べたいわよ」
「そうか! じゃあ、一緒に行こう!」
「……うん」
セリナは小さく頷いた。
そのやり取りを見ていた老人は、何かを察したように目を細めたが、何も言わずに笑っていた。
やがて、村人たちの協力もあって荷車の修理は無事に終わった。
折れた車軸は応急処置を施され、ゆっくりなら走れる状態になった。
村人たちは何度も二人に礼を言った。
「本当に助かったよ!」
「二人がいてくれてよかった!」
「また村に来てくれ!」
ガルドは照れくさそうに頭をかいた。
「そんなに礼を言われるようなことじゃないぞ!」
セリナは、その横顔を見て微笑んだ。
ガルドにとって、人を助けることは特別なことではない。
ただ、困っているから手を貸した。
それだけなのだ。
だからこそ、村人たちの感謝にも気負いがない。
その自然さが、セリナには少し眩しく感じられた。
食堂へ戻ると、店の女性が二人を待っていた。
「お帰り! 料理は温め直しておいたよ!」
「おおっ!」
ガルドは席に着くなり、煮込み料理を見つめた。
温め直されたカブと肉から、再び湯気が立ち上っている。
「待ってた!」
「さっきも食べていたでしょう……」
「これは別腹だ!」
「そんな言葉、どこで覚えたのよ!」
セリナが笑う。
マルコも一緒に席へ着き、村の料理を楽しんだ。
食事を終えるころには、ガルドはすっかり村の人々と打ち解けていた。
店の女性からは焼き菓子をもらい、老人からは新鮮なカブを食べに来る約束まで取りつけていた。
「ガルド、帰るわよ」
「分かった! ……あ、もう一つだけ焼き菓子をもらってもいいか?」
「あなたねえ……」
セリナは呆れたように笑いながらも、止めはしなかった。
二人は村人たちに見送られ、町へ戻る準備を始めた。
護衛依頼は無事に完了した。
それだけではない。
村の人々と出会い、困りごとを解決し、温かい食事まで楽しむことができた。
ガルドは満足そうに腹をさすった。
「いい村だったな!」
「ええ。また来たいわね」
「次はカブをもっと食べたい!」
「はいはい」
セリナは笑いながら頷いた。
そのとき、村の入口でマルコが二人を呼び止めた。
「そうだ、二人とも。帰り道は気をつけてくれ」
「何かあるのか?」
ガルドが尋ねる。
マルコは少しだけ表情を引き締めた。
「ここ数日、村の北にある丘で妙な音がするんだ。夜になると、地面が揺れることもあるらしい」
セリナの表情が変わった。
「地面が揺れる……?」
「ああ。最初は荷車の音かと思ったんだが、そうじゃないらしい。村の猟師も、見慣れない魔物の足跡を見たと言っていた」
ガルドとセリナは顔を見合わせた。
街道に現れたグラスファング。
北の森から移動してきたかもしれない魔物たち。
そして、今度はリンド村の北にある丘だ。
それぞれが無関係だとは、言い切れなくなっていた。
「分かった。気をつけて帰るよ」
ガルドが答えた。
セリナも頷く。
「何かあったら、俺たちに言ってくれ!」
「ありがとう。頼りにしているよ」
二人はマルコに別れを告げ、町へ続く街道へと歩き出した。
穏やかな風が吹き、畑の葉が揺れている。
村はいつも通りの平和な姿を取り戻していた。
けれど、その北に広がる丘の向こうでは――。
誰も知らない何かが、ゆっくりと動き始めていた。
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