翌朝。
「ガルド、起きてる?」
宿屋の部屋の扉を、セリナが軽く叩いた。
「起きてるぞ!」
すぐに返事があった。
扉を開けると、ガルドはすでに大剣を背負い、出発の準備を整えていた。
「今日は早いのね」
「朝飯を食べたからな!」
「……それ、早いことと関係ある?」
「腹が満たされると元気が出る!」
ガルドは満面の笑みで答えた。
セリナは苦笑した。
昨日は町を歩き回り、屋台を巡り、最後には食堂で夕食までしっかり食べた。
それだけ動いたのだから、今日はゆっくり寝ているかと思っていたのだが。
「今日は何か依頼を受けるの?」
「おう! せっかく冒険者になったんだ。いろんな依頼をやってみたい!」
「そうね。じゃあ、まずはギルドに行きましょう」
「分かった! ……ところで、朝飯はもう食べたか?」
「あなたは食べたでしょう!」
「いや、セリナが食べたか気になってな!」
「私は食べたわよ」
「そうか! よかった!」
何がよかったのかは分からなかったが、ガルドは納得したように頷いた。
二人は宿屋を出て、冒険者ギルドへ向かった。
冒険者ギルドは、朝から多くの冒険者で賑わっていた。
依頼掲示板の前では、冒険者たちが仲間と相談しながら紙を選んでいる。
「さて、今日はどんな依頼があるかしら」
セリナが掲示板を見渡す。
薬草採取、荷物運び、街道の巡回、魔物の討伐。
いつも通りの依頼が並んでいた。
その中で、ガルドの目が一枚の依頼書に止まった。
「おっ、これなんかどうだ?」
依頼書には、こう書かれていた。
『北西の街道を通る荷馬車の護衛。目的地はリンド村。所要時間は片道半日程度。道中の安全確保を希望』
「リンド村……ここから少し離れた村ね」
セリナが依頼書を読み込む。
「報酬はそこそこ。危険度も高くないみたい」
「護衛か! 前にもやったな!」
「そうね。あのときは狼が出たけれど」
「狼か……肉がうまかったな!」
「依頼の感想がそれなの?」
セリナは呆れたように笑った。
だが、護衛依頼自体は悪くない。
街道の様子を知ることもできるし、村に行けば町とは違った食べ物に出会えるかもしれない。
「よし、これにしよう!」
「ええ。受けましょう」
二人は依頼書を受付へ持っていった。
受付嬢は書類を確認し、説明を始める。
「今回の依頼主は、リンド村で農具や生活用品を扱っている商人の方です。荷物を積んだ馬車で村へ戻る予定なので、道中の護衛をお願いします」
「魔物は出るのか?」
ガルドが尋ねる。
「街道そのものは比較的安全ですが、最近は小型の魔物が出ることもあるそうです。ただ、今のところ大きな被害は報告されていません」
「分かった!」
「……もう少し詳しく聞いてから返事をしましょうね」
セリナが横から口を挟んだ。
受付嬢は微笑んだ。
「依頼主は町の北門で待っています。詳しい話は、そちらで聞いてください」
二人は礼を言い、北門へ向かった。
北門の近くには、一台の荷馬車が停まっていた。
馬車のそばに立っていたのは、日に焼けた顔の中年男性だった。
背はそれほど高くないが、腕は太く、長年荷物を運んできたことがうかがえる。
「あなたたちが、護衛を引き受けてくれた冒険者か?」
「そうだ! 俺はガルド!」
「私はセリナです。よろしくお願いします」
「俺はマルコだ。リンド村で商売をしている」
マルコは二人を見て、少しだけ眉を上げた。
ガルドの背負う大剣が、やはり目立つのだろう。
「ずいぶん大きな剣だな……それを使うのか?」
「おう!」
「……そうか。まあ、頼りにしているよ」
マルコは一瞬だけ不安そうな顔をしたが、すぐに気を取り直した。
「荷物は農具や布、それに保存食だ。村で待っている人たちがいるから、できれば今日中に届けたい」
「分かりました。道中は私たちが警戒します」
セリナが答える。
「助かる。では、出発しよう」
マルコが御者席に乗り、手綱を握った。
ガルドとセリナは馬車の前後を確認し、街道へ出る。
町の門を抜けると、穏やかな風が吹き抜けた。
街道の両側には草原が広がり、遠くには低い丘が連なっている。
「いい天気だな!」
ガルドが大きく伸びをした。
「そうね。こういう日は移動もしやすいわ」
「帰りには何かうまいものが見つかるかな?」
「まだ村にも着いていないでしょう?」
「だから、楽しみにしてるんだ!」
セリナは小さく笑った。
御者席のマルコも、二人の会話を聞いて微笑んでいた。
「リンド村は野菜がうまいぞ。畑が多くてな。特に、甘みの強いカブは評判なんだ」
「カブ!」
ガルドの目が輝いた。
「肉じゃないけど、うまいぞ。煮込むと、とろとろになる」
「煮込む……!」
「ガルド、まだ話の途中よ」
「すまん! つい想像してしまった!」
セリナは額を押さえた。
この調子なら、村に着く前から食事の話で盛り上がりそうだった。
だが、しばらく進んだところで、セリナの表情が変わった。
「……待って」
彼女が手を上げる。
馬車がゆっくりと止まった。
「どうした?」
マルコが尋ねる。
セリナは街道の先をじっと見つめていた。
「何かいるわ」
草むらが揺れた。
風のせいではない。
草の奥から、低い唸り声が聞こえてくる。
ガルドは大剣の柄に手をかけた。
「魔物か?」
「たぶんね。マルコさん、馬車から離れないでください」
「あ、ああ……!」
次の瞬間、草むらから三体の魔物が飛び出した。
灰色の毛並みを持つ、犬ほどの大きさの魔物。
鋭い爪と大きな前歯が目立つ。
「グラスファングだわ!」
セリナが叫んだ。
「草原に住む小型の魔物よ。群れで動くことが多いの!」
「三匹か! ちょうどいいな!」
「何がちょうどいいのよ!」
グラスファングたちは馬車を狙っているらしい。
一体が馬の前へ回り込み、残りの二体が左右から迫ってきた。
「セリナ、左を頼む!」
「任せて!」
セリナは弓を構え、馬車の左側へ回り込もうとした一体の進路を矢で遮った。
矢は魔物の足元の地面に突き刺さる。
驚いたグラスファングが足を止めた瞬間、セリナは距離を詰め、短剣でその動きを牽制した。
一方、ガルドへ向かってきた二体は、左右に分かれて同時に飛びかかった。
「おっと!」
ガルドは一歩後ろへ下がり、片方の攻撃をかわす。
もう一体が横から迫る。
大剣を振り回すには少し近い。
しかし、ガルドは慌てなかった。
剣の柄を握り直し、刃の側面で魔物の体を受け止める。
そのまま腕を動かし、勢いを利用して横へ弾き飛ばした。
「よし!」
体勢を崩した魔物が草地を転がる。
残る一体は、仲間が吹き飛ばされたのを見て一瞬ひるんだ。
その隙を、ガルドは逃さなかった。
大剣を振り下ろす。
刃は魔物のすぐ横の地面を叩き、轟音とともに土を跳ね上げた。
驚いたグラスファングは、慌てて飛び退いた。
「おお、逃げるのか?」
ガルドが首を傾げる。
「逃がしていいわ! 馬車から遠ざけて!」
「分かった!」
ガルドはわざと街道から離れるように動き、魔物たちを馬車から引き離した。
セリナも矢で進路を制限する。
やがて、三体は互いに顔を見合わせると、草むらの奥へと走り去っていった。
戦闘は、あっという間に終わった。
「終わったか?」
マルコが、おそるおそる御者席から声をかけた。
「おう! もう大丈夫だ!」
ガルドは大剣を肩に担いだ。
「怪我はありませんか?」
セリナが馬の様子を確認する。
幸い、馬も荷物も無事だった。
「助かった……! あんな魔物が出るとは思わなかったよ」
「街道ではよく出るんですか?」
セリナが尋ねると、マルコは首を横に振った。
「いや、普段はほとんど見ない。グラスファングはもっと草原の奥にいるはずなんだが……」
その言葉に、セリナはわずかに表情を曇らせた。
最近、魔物の出没場所が変わっている。
北の森や東の山道だけではない。
この街道でも、普段は見かけない魔物が現れ始めているのだろうか。
ガルドも、草むらの奥を見つめた。
「何かに追い出されたのかな?」
「……その可能性はあるわね」
セリナが答えた。
けれど、今は護衛依頼の途中だ。
ここで深追いするわけにはいかない。
「まずは村まで荷物を届けましょう。気になることは、帰ってからギルドに報告すればいいわ」
「そうだな!」
ガルドはあっさりと頷いた。
それから、ふと思い出したようにマルコへ顔を向ける。
「ところで、リンド村のカブって肉と一緒に煮込むとうまいのか?」
「……うまいぞ」
「よし!」
「ガルド、今はその話じゃないでしょう!」
セリナの声が街道に響いた。
マルコは緊張が解けたのか、声を上げて笑った。
「ははは! いや、村に着いたらぜひ食べていってくれ。うまい料理を出す店もあるからな!」
「本当か!」
「ええ、楽しみね」
再び馬車が動き始めた。
穏やかな草原の道を、荷馬車がゆっくり進んでいく。
しかし、街道脇の草むらには、まだ新しい足跡がいくつも残されていた。
その足跡は、グラスファングたちが走り去った方向とは反対――北の森へと続く道から伸びていた。
そして、草むらのさらに奥。
誰も気づかない場所で、小さな影が一つ、音もなく動いた。
その影は馬車を追うことなく、北の森へ向かって消えていった。
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