森を離れたガルドとセリナは、街道を歩いていた。
太陽はまだ高い位置にある。
けれど、二人の表情はいつもより真剣だった。
「……あれ、いったい何だったんだろうね」
セリナが、森の方を振り返る。
先ほど目撃した黒い巨体。
全身を覆う硬そうな黒い鱗に、背中に並んだ鋭い突起。そして、遠くからでもはっきりと分かるほどの巨体。
これまで二人が遭遇した魔物とは、明らかに格が違っていた。
「さあな。でも、でかかったな!」
「感想がそれなの?」
「ほかに何かあるか?」
「……まあ、確かに大きかったけど」
セリナは苦笑した。
ガルドにとって、どれだけ巨大な魔物であっても、まず目につくのは大きさなのだろう。
ただし、今回ばかりは彼も不用意に近づこうとはしなかった。
あの魔物がこちらに気づけば、何が起きるか分からない。
それだけは、ガルドにも理解できていた。
「それに、あの魔物……何かを探しているように見えたわ」
「岩を見てたやつか?」
「ええ。あの岩には、爪で引っかいたような跡があったでしょう? それに、魔物が移動した先には古い岩壁があった」
セリナは考え込むように、顎に手を添えた。
「偶然かもしれない。でも、何か関係がある可能性は高そうね」
「じゃあ、あの岩壁の向こうに何かあるのか?」
「それを確かめるためにも、まずはギルドに報告しないと」
「そうだな。……帰ったら飯にしよう」
「今の話、ちゃんと聞いてた?」
「聞いてたぞ。岩壁を調べる前に飯だ!」
「そこは忘れないのね……」
セリナは呆れたように息を吐いた。
しかし、いつもの調子を取り戻したガルドを見て、少しだけ安心してもいた。
未知の魔物を前にしても、必要以上に怯えない。
それは彼の強さなのか、それとも単に怖いもの知らずなだけなのか。
セリナには、まだ判断がつかなかった。
街に戻った二人は、寄り道をせずに冒険者ギルドへ向かった。
扉を開けると、昼過ぎのギルドは多くの冒険者で賑わっていた。
依頼を探す者、仲間と食事の話をする者、カウンターで報酬を受け取る者。
いつもと変わらない光景だ。
「お帰りなさい、ガルドさん、セリナさん。北の森の調査はどうでしたか?」
受付嬢が二人に気づき、声をかけてきた。
「ちょっと、とんでもないものを見つけたわ」
セリナの言葉に、受付嬢の表情が引き締まった。
「とんでもないもの、ですか?」
「ああ。黒くて、でかくて、鱗が生えてる魔物だ!」
ガルドが両手を広げて説明する。
その仕草を見た受付嬢は、困ったように首を傾げた。
「ええと……もう少し詳しくお願いできますか?」
「もっと詳しく?」
「そうね。私たちが見たのは、四本足で歩く巨大な魔物よ。全身が黒い鱗に覆われていて、背中には棘のような突起が並んでいたわ。長い尻尾もあった」
セリナが落ち着いて説明を続ける。
「それと、森の東側にある岩場で見つけたの。大きな岩に残された傷を調べていたみたいだった」
「岩に残された傷……ですか?」
「ええ。魔物が通った跡も、普通じゃなかったわ。地面が深くえぐれていたし、周囲の小さな魔物は逃げ出していた」
受付嬢はすぐに記録用の紙を取り出した。
「少々お待ちください。ギルドマスターを呼んできます」
彼女は近くの職員に声をかけると、奥の部屋へと向かった。
その様子を見ていた冒険者たちが、何事かと二人に注目し始める。
「おい、またあの新人たちか?」
「北の森の調査に行ってたんだろ?」
「今度は何を見つけたんだ……?」
ガルドは周囲の視線を気にすることなく、腹を押さえた。
「セリナ、飯はまだか?」
「報告が終わってからよ」
「まだ終わってないのか……」
「あなたが話をややこしくするからでしょう!」
セリナが小声で突っ込んだところで、奥の扉が開いた。
「二人とも、詳しく聞かせてもらおう」
現れたのは、ギルドマスターだった。
いつもの落ち着いた表情だが、二人の前に立つと真剣な目を向けた。
「こちらへ来てくれ」
案内されたのは、ギルドの奥にある小さな会議室だった。
机を挟んで向かい合うと、ギルドマスターは早速口を開いた。
「黒い鱗の巨大な魔物……。実は、今日の午前中にも似た報告が入っている」
「えっ?」
セリナが驚いた。
「別の冒険者が、東の山道から森へ向かう途中で、遠くに黒い巨大な影を見たそうだ。姿までは確認できなかったらしいが、地響きが聞こえたと言っていた」
「じゃあ、私たちが見た魔物と同じかもしれないのね」
「ああ。その可能性は高い」
ギルドマスターは机の上に地図を広げた。
そこには、これまでに異変が報告された場所が記されている。
北の森。
西側の岩場。
東の山道。
どれも離れた場所だが、地図を眺めていると、一つの共通点が浮かび上がってくる。
「……森を中心に、異変が広がっている?」
セリナがつぶやいた。
「そう考えている。最初は単なる魔物の移動だと思われていた。だが、目撃情報が増え、通常なら森の奥にいるはずの魔物まで街道付近に現れている」
ギルドマスターは地図の東側を指で示した。
「そして、今回の黒い魔物だ。正体は不明だが、これまでの報告にある魔物とは規模が違う」
「戦ったら強いのか?」
ガルドが尋ねた。
「強いかどうかを判断できるだけの情報がない。だからこそ、危険なんだ」
ギルドマスターはきっぱりと言った。
「相手の能力も、習性も、目的も分からない。今の段階で討伐隊を組むにしても、準備が足りない」
ガルドはうなずいた。
「じゃあ、もっと調べるのか?」
「そうだ。ただし、二人だけで無理に近づくのは避けてほしい」
ギルドマスターの視線が、ガルドに向く。
「君の実力は、これまでの報告である程度把握している。だが、どれほど強くても、相手のことが分からないまま戦うのは危険だ」
「分かった。見つけても、すぐには斬らない」
「……本当に分かっているんだろうな?」
「もちろんだ!」
ガルドは自信満々に答えた。
セリナは小さくため息をついた。
この男の場合、相手が襲ってきたら反射的に剣を振るいそうである。
もっとも、先ほどは自分から戦いを仕掛けずに観察していた。
その判断は、セリナも評価していた。
「それと、もう一つ気になることがある」
ギルドマスターが言った。
「君たちが見たという、古い岩壁についてだ」
「岩壁?」
「ああ。東側の山道から森へ入った先に、古い岩壁がある。昔からある場所だが、詳しいことは分かっていない。普段は魔物もあまり近づかない場所だ」
セリナは、目撃した黒い魔物の姿を思い返した。
あの巨体が岩壁の前で立ち止まり、低くうなっていた光景。
まるで、その向こうに何かがあると知っているかのようだった。
「その岩壁について、何か記録は残っていないの?」
「調べさせているところだ。古い地図や記録が見つかれば、何か分かるかもしれない」
「なら、まずはそっちを調べるべきだな」
ガルドが言った。
「魔物を追いかけるより、岩壁を見に行った方がいいんじゃないか?」
「……珍しくまともなことを言ったわね」
「そうか?」
「いつもなら『追いかけて倒せば分かる!』って言いそうだから」
「そんなこと言わないぞ!」
「本当に?」
「……相手が襲ってきたら、倒すかもしれないけどな」
「ほら!」
セリナの声が会議室に響いた。
ギルドマスターは、思わず額に手を当てた。
だが、二人のやり取りを見ているうちに、張り詰めていた表情が少しだけ和らいだ。
「とにかく、今日のところは十分だ。今回の情報は、ギルドで共有しておく。岩壁について何か分かったら、こちらから連絡しよう」
「分かったわ」
「了解だ!」
二人は会議室を出た。
ギルドの受付前まで戻ってきたところで、ガルドの足がぴたりと止まった。
視線の先にあったのは、依頼掲示板ではない。
併設された食堂の入口だった。
ちょうど厨房から、焼いた肉の香ばしい匂いが漂ってくる。
「……セリナ」
「何?」
「肉の匂いがする」
「そうね」
「食っていいか?」
「報告が終わったら食べていいって言ったでしょう?」
「終わったぞ!」
「……そうだったわね」
セリナは思わず笑った。
「いいわよ。今日は私もお腹が空いたし」
「よし!」
ガルドは勢いよく食堂へ向かった。
席に着くなり、彼は肉料理をいくつも注文した。
セリナもスープとパン、それに焼き野菜を頼む。
ほどなくして、熱々の料理が運ばれてきた。
「いただきます!」
ガルドはさっそく肉にかぶりついた。
「うまい!」
「本当に、食べているときは幸せそうね」
「うまいものを食ってるんだから、当たり前だろ!」
ガルドは二口目を頬張りながら答えた。
セリナはその姿を眺め、ふと窓の外へ目を向けた。
街の向こうには、遠く山並みが見えている。
その先にある森では、正体の分からない巨大な魔物が動いている。
いったい、何を探しているのか。
なぜ、森の魔物たちは逃げ出しているのか。
そして、あの古い岩壁には何があるのか。
分からないことばかりだった。
「……早く、何か分かるといいわね」
セリナがぽつりとつぶやく。
「ん? 何か言ったか?」
「何でもないわ」
彼女は微笑み、スープを口に運んだ。
今はまだ、情報が足りない。
焦って森へ向かうより、準備を整えてから動いた方がいい。
それはセリナにも、ガルドにも分かっていた。
ただし――。
「セリナ、明日も森に行くなら、朝飯は多めに食べておこう!」
「……まだ調査に行くって決まったわけじゃないんだけど?」
「でも、行くかもしれないだろ?」
「それはそうだけど……」
「腹が減ったら戦えないからな!」
「あなたの場合、腹がいっぱいでも戦いそうだけどね」
セリナは笑いながら答えた。
ガルドも、つられて笑う。
そんな二人の知らないところで、ギルドの奥ではすでに調査が始まっていた。
古い記録を探す職員。
過去の魔物の目撃情報を確認する冒険者。
そして、東の山道から戻ってきた別の調査員が、新たな報告を届けようとしていた。
その報告が、二人を再び森へ向かわせることになるとは――。
まだ、誰も知らなかった。
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