翌朝。
ガルドは宿屋の食堂で、山盛りのパンと肉料理を前に満面の笑みを浮かべていた。
「うまい! 朝から肉が食えるって最高だな!」
「昨日もあれだけ食べたのに、まだ入るのね……」
向かいの席で、セリナが呆れたように息を吐く。
昨日は町の腕自慢大会で優勝し、金貨五枚と革の籠手を手に入れた。
その賞金を使って、二人は少し豪華な夕食を楽しんだのだ。
それなのに、ガルドの食欲は朝になっても衰える気配がない。
「今日は町をぶらぶらするんだろ? だったら、腹ごしらえは大事だ!」
「まあ、それはそうだけど……」
「それに、町を歩けば新しい店が見つかるかもしれない!」
「結局、食べ物なのね」
「もちろん!」
あまりにも迷いのない返事に、セリナは思わず笑ってしまった。
けれど、今日は彼女自身も楽しみにしていた。
ここ数日は森の調査や依頼続きで、落ち着いて町を歩く時間もなかった。
たまには剣や魔物のことを忘れて、のんびり過ごすのも悪くない。
「じゃあ、まずは商店街に行きましょう。私もちょっと見たいお店があるの」
「おう! その途中に肉の店があったら寄ろう!」
「はいはい」
こうして二人は、宿屋を出発した。
今日の目的は、町歩き。
少なくともセリナは、そのつもりだった。
もっとも、ガルドにとっては最初から別の目的もあったのだが。
商店街は朝から活気にあふれていた。
野菜を並べる店、色鮮やかな布を売る店、旅人向けの道具を扱う店。
通りの両側にはさまざまな露店が並び、あちこちから威勢のいい呼び声が聞こえてくる。
「おっ、あれは何だ?」
ガルドが足を止めた。
視線の先には、鉄板の上で肉を焼いている屋台があった。
香ばしい匂いが風に乗って流れてくる。
「串焼きね。昨日も食べたでしょう?」
「昨日の串焼きと今日の串焼きは違う!」
「……そういうもの?」
「そういうものだ!」
ガルドは当然のように頷くと、店へ向かった。
「おじさん、それ二本!」
「はいよ! 焼きたてだ!」
受け取った串焼きの一本を、ガルドはすぐにセリナへ差し出した。
「ほら、セリナの分!」
「え? 私も?」
「二本頼んだからな!」
「……ありがとう」
セリナは串を受け取った。
ただ二本頼んだから。
おそらくガルドにとっては、それだけのことなのだろう。
けれど、何気ない気遣いが妙に嬉しかった。
二人は並んで串焼きを頬張りながら、再び歩き始める。
「これ、香辛料が効いていておいしいわね」
「だろ! この肉、昨日の店とは違う味がするぞ!」
「あなた、肉のことになると本当に詳しいわね」
「食べるのが好きだからな!」
胸を張るガルドを見て、セリナはくすくすと笑った。
こんなふうに何でもない話をしながら町を歩くのは、思っていた以上に楽しかった。
そのまま二人は、衣服店や道具屋をのぞきながら通りを進んでいった。
そして、ある店の前でセリナが足を止める。
「ここ、ちょっと見てもいい?」
「もちろん!」
そこは冒険者向けの装備品を扱う店だった。
弓の弦や矢筒、短剣用の鞘などが並んでいる。
セリナは弓の手入れに使う道具を探していたらしい。
商品を一つずつ確かめながら、店主に質問をしている。
ガルドはその様子を眺めていたが、ふと自分の手元へ視線を落とした。
昨日、腕自慢大会でもらった革の籠手。
まだ袋に入れたままだった。
「なあ、おじさん。これ、俺の剣を持つときにも使えるかな?」
店主は籠手を受け取り、革の厚さや縫い目を確認した。
「悪くない品だな。手のひらも補強されているし、握り込んだときに滑りにくい。大剣を使うなら、試してみる価値はあるぞ」
「おお!」
「ただし、手に合わないなら無理に使うなよ。握りにくい装備は、かえって危ないからな」
「分かった!」
ガルドはさっそく籠手を装着した。
指を握ったり開いたりして、具合を確かめる。
「おっ、いい感じだ!」
「ならよかったじゃない」
セリナも自分の買い物を終え、こちらへ戻ってきた。
「剣を振るときに違和感がないか、あとで確認したほうがいいわね」
「そうだな。今度、軽く振ってみる!」
「軽く、ね……」
セリナは、ガルドが軽く振っただけで何かが壊れないことを祈った。
もちろん、本人に悪気はない。
むしろガルドは、新しい装備が気に入った様子で何度も手を握っていた。
そのときだった。
「誰か! 誰か手を貸してください!」
通りの向こうから、切羽詰まった声が響いた。
二人が振り返ると、人だかりの向こうで小さな荷車が傾いていた。
車輪の片方が石畳の溝にはまり、積んでいた木箱が今にも崩れ落ちそうになっている。
荷車を押しているのは、まだ若い女性だった。
周囲の人々も助けようとしていたが、車輪がうまく動かず、どうにもならないらしい。
「大変だな」
ガルドはそう言うと、迷いなく歩き出した。
「ガルド、待って。まずは状況を――」
「大丈夫だ! 押せばいいんだろ?」
「そういう話をしてるんじゃないんだけど!」
セリナの声を背中に受けながら、ガルドは荷車の横へ回り込んだ。
「お姉さん、ちょっと押すぞ!」
「えっ? あ、はい!」
ガルドは荷車の荷台に手をかけ、傾きを直すように持ち上げた。
ぐっ、と腕に力を込める。
すると、傾いていた荷車があっさりと水平に戻った。
「よし!」
そのまま車輪を溝から抜き、石畳の上へと押し戻す。
荷車は何事もなかったかのように、元の位置へ戻った。
周囲が静まり返る。
女性も、口を開けたままガルドを見上げていた。
「これでいいか?」
「え……あ、はい! ありがとうございます!」
女性は慌てて頭を下げた。
「本当に助かりました! 一人ではどうにもならなくて……」
「気にするな! 荷物が落ちなくてよかったな!」
「それにしても、すごい力ですね……。荷物もかなり積んでいたのに」
「そうか? 持ち上げれば動くぞ?」
「普通は持ち上がらないのよ……」
追いついたセリナが、横から小さく突っ込んだ。
女性は二人を交互に見たあと、はっとしたように顔を明るくした。
「あの、もしかして冒険者の方ですか?」
「そうだぞ! 俺はガルド。こっちはセリナだ!」
「私はミレーヌといいます。小さな雑貨店をやっているんです」
ミレーヌは荷車の木箱を確認しながら説明した。
箱の中には、手作りの小物や装飾品が入っているらしい。
今日は市場で商品を売る予定だったが、道の溝に車輪がはまってしまったのだという。
「よかったら、お礼をさせてください。大したものではありませんが……」
「いや、お礼なんていいぞ!」
ガルドはあっさり断った。
「困ってる人を助けただけだからな!」
ミレーヌは目を丸くした。
その隣で、セリナは少しだけ誇らしい気持ちになっていた。
ガルドは力が強いだけではない。
目の前で困っている人がいれば、何も考えずに手を貸す。
その単純さが、ときどき危なっかしくもあるのだけれど。
「それでも、何かお礼をさせてください」
ミレーヌは少し考えたあと、荷台から小さな布袋を取り出した。
「これ、私が作った焼き菓子なんです。よかったら召し上がってください」
「焼き菓子!」
ガルドの目が輝いた。
先ほどまで断っていた人間とは思えない反応だった。
セリナが額に手を当てる。
「……ガルド」
「いや、これはお礼だからな!」
「まだ何も言ってないでしょう」
「そうだった!」
ミレーヌは思わず吹き出した。
「ふふっ。お二人は仲がいいんですね」
「えっ?」
セリナの頬が、ほんのり赤くなる。
「そ、そう見えます?」
「はい。とても」
「俺たちは一緒に依頼を受けてるからな!」
ガルドは何の疑いもなく答えた。
セリナは一瞬だけ彼を見つめ、それから小さくため息をついた。
「……そうね。そういうことにしておくわ」
「どういうことだ?」
「何でもない!」
ミレーヌは、そんな二人を楽しそうに眺めていた。
焼き菓子を受け取った二人は、ミレーヌに別れを告げて再び歩き始めた。
袋の中には、丸い形をした焼き菓子がいくつか入っている。
香ばしい匂いが漂っていた。
「これ、うまそうだな!」
「帰ってから食べるものじゃないの?」
「今食べてもいいだろ?」
「……まあ、そうね」
ガルドは一つ取り出し、豪快にかじった。
「うまい!」
「本当? じゃあ私も……」
セリナも一口食べる。
甘さは控えめで、木の実の香ばしさが口いっぱいに広がった。
「おいしいわね。これならお茶にも合いそう」
「お茶か! じゃあ、茶を飲める店を探そう!」
「ふふっ。いいわね」
二人は焼き菓子を分け合いながら、通りを歩いていった。
やがて、商店街の外れに小さな広場が見えてくる。
広場にはベンチがいくつか置かれ、中央には噴水があった。
その周囲には、花を売る露店や小さな飲食店が並んでいる。
「ここで少し休まない?」
セリナが提案した。
「賛成だ! ちょうど腹が――」
「お腹が空いた、はなしね」
「……ちょっとだけ空いた」
「さっき串焼きを食べたばかりでしょう!」
セリナは呆れながらも、笑いをこらえきれなかった。
二人はベンチに腰を下ろした。
しばらく、何をするでもなく広場を眺める。
子供たちが噴水の周りを走り回り、買い物帰りの人々が楽しそうに話している。
冒険者として活動していると、どうしても依頼や魔物のことばかり考えがちだ。
けれど、こうした普通の暮らしがあるからこそ、守りたいものも生まれるのだろう。
「ねえ、ガルド」
「ん?」
「これからも、いろんな町に行ってみたい?」
「もちろん!」
返事は即答だった。
「知らない町には、知らない食べ物があるからな!」
「やっぱりそこなのね……」
「それに、知らない場所を歩くのも面白いだろ?」
セリナは少し驚いて、ガルドの顔を見た。
ガルドは広場を眺めながら、楽しそうに続ける。
「強い魔物と戦うのも好きだし、初めて見る景色も好きだ。町ごとに違うものがあるって、いいよな!」
「……そうね」
「セリナは?」
「私も、いろんな場所を見てみたいわ」
セリナは、そっと微笑んだ。
「一緒に行けたら、もっと楽しいと思う」
「じゃあ、これからも一緒に行こう!」
ガルドは、いつもの調子で笑った。
「俺一人だと道に迷うかもしれないしな!」
「そこは自信を持って言うところじゃないでしょう……!」
セリナは笑いながら、ガルドの肩を軽く叩いた。
けれど、その表情はどこか嬉しそうだった。
まだまだ、この男のことは分からない。
力は途方もなく強いのに、本人はそれを特別だと思っていない。
食べ物のことになると目の色が変わるし、思ったことをそのまま口にする。
それでも、一緒にいると不思議と退屈しない。
むしろ、次は何が起きるのだろうと楽しみになる。
「よし! 次はあの店に行ってみよう!」
ガルドが立ち上がった。
視線の先には、湯気を上げる鍋を店先に並べた食堂がある。
「……結局、食べ歩きに戻るのね」
「おう!」
セリナは笑って立ち上がった。
「いいわ。今日は付き合ってあげる」
「本当か! よし、行こう!」
ガルドは勢いよく歩き出す。
セリナはその背中を追いながら、ふと思った。
次の冒険では、どんな景色が見られるのだろう。
どんな強敵が待っているのだろう。
そして――。
この隣を歩く男と、どんな時間を過ごすことになるのだろう。
今はまだ、答えは分からない。
けれど、それを楽しみに思える自分がいる。
そんなことを考えながら、セリナはガルドの隣へと並んだ。
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